信貴山頂上へ

投稿日時:2017.01.18 (水)  06:10:10カテゴリ:日帰り旅(29)

 

初詣で行きそびれた信貴山頂上。

煙と何やらは、上に登りたがる。

子安堂から九十九折りの急坂を登ること30分。




やっと、てっぺん近くだ。




空鉢護法堂に着いた。




龍を祭ってあるが、巳さんの姿で。

本殿の周りに全ての龍王の摂社が取り囲んでいる。

頂上からの眺めは素晴らしい。




葛城山。




大和平野。微かに大和三山が見えます。

社務所で、眼に留まったもの




御神体白蛇様の抜け殻入りの御守りだ。早速500円で求めた。

今財布の札束の後ろに御座っしゃる。さて、効果は?


少し東に下がった処に碑が建っています。






松永久秀の天空の城跡です。滅ぼしたのは織田信長。

よくもこんなに山深いところを攻めたものだ。

浅井長政の小谷城もすごい山上にあった。


下った山道の傍に




屋敷が有ったらしい平地があるだけだった。

下って30分程行くと




何とこんな処にと驚かされる。

立派な古刹である。








汗かき毘沙門天。

あまりに寒くて汗もかかなかった。


下界に降りて、平群の里は、古墳だらけ。

帰り道あった陵墓。それは長屋王の御陵。




少し離れた所に妻の吉備内親王の墓があります。




藤原4兄弟の陰謀に倒れたあの「長屋王」です。

祟りで4人共病で亡くなった。ので、手厚く葬られた?


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初詣で、信貴山

投稿日時:2017.01.15 (日)  09:56:57カテゴリ:日帰り旅(29)

 

元旦の午後、何の予定もなく、信貴山へ行ってしまった。1番最初の駐車場に止めた。1000円の駐車料。ぼったくりや!!

参道の入り口には、昔の風情を残す老舗料理旅館が立ち並んでいる。10分程上ると、山門が見えて来る。その手前に、




古い建物をそのまま使った珈琲店。右側

左側には、曾我乃屋本店の菓子店。人形焼きの様なカステラ生地にコシ餡。焼きたてを売っている。土産物として箱詰めで買えますが、焼きたてがお勧め。




虎です。




山門横には、千体地蔵尊。




趣の有る建造物です。




山門を潜ると、遥か彼方の中腹に本堂が望める。




進んで行くと、何故か張子の虎。




本堂を見上げる。虎年、虎日、虎刻に何か事件が有ったらしい。

今から1400余年前、聖徳太子は、物部守屋を討伐せんと河内稲村城へ向かう途中、この山に至りました。太子が戦勝の祈願をするや、天空遥かに毘沙門天王が出現され、必勝の秘法を授かりました。その日は奇しくも寅年、寅日、寅の刻でありました。太子はその御加護で勝利し、自ら天王の御尊像を刻み伽藍を創建、信ずべし貴ぶべき山『信貴山』と名付けました。以来、信貴山の毘沙門天王は寅に縁のある神として信仰されています




日本一大きな地蔵尊。




心を込めて祈ったよ!!




子安塔。ここから、奥の院、空鉢護法堂、信貴山城跡への山道が続くが、時間がないので、本堂に登り、毘沙門天を拝んで下山した。本堂からは王寺市街が見渡せる。




本堂の下で、護摩が焚かれていました。




何故か鶏の灯篭。来年も有るのかな?




帰りは、開運橋を渡って、開運、開運!!!!!!!開運







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美山かやぶきの里は、秋模様

投稿日時:2016.10.13 (木)  20:09:45カテゴリ:日帰り旅(29)

 

秋の風情iいっぱいの里へ行って来ましたよ。



来た時は午前。観光バスがたくさん止まっており、一団の人波が引き潮のように去って行った。疎らな人が散策している。




茅葺の新しいのが正面に見える。




コスモスが風に揺れて、揺れて・・・・・・・




美山民族資料館は、苔蒸して、雨多き秋を物語り、寂びの風情。




平岡地区の蓮如の滝。由良川が碧く澄んでいました。

秋の風をいっぱい吸い込み清々しい気分。

ここを訪れたのは、山崎昌伸詩画展の一角を借りて、自分の作品を展示しておられる生徒さんのお誘いがあったからです。

空気が美味い。そばが美味い。茅葺の雰囲気が素晴らしい。

癒される!!と言う誘い。

到着して、すぐ、食事処「きたむら」で食べましたよ。

細麺で、コシの強い美味しい盛り蕎麦でしたよ!!

隣の菓子処で食べた黍ソフトクリームが香ばしく美味しかったし、栃等の餡餅を売っていましたよ。素朴な味でしたよ。

最後に、山崎さんの絵葉書を見て下さい。






洒脱でおしゃれで、字も面白く、絵も軽やかな筆捌き。

美山交流館(カフェギャラリー彩花)にて、展示。

生徒さんのは高価なので、買うのは遠慮してそうそう・・・・・


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宮川香山展

投稿日時:2016.07.24 (日)  06:48:53カテゴリ:日帰り旅(29)

 

大阪市立東洋陶磁美術館へ行って来ました。




宮川香山と言えば、江戸時代生まれ、京都真葛ヶ原の陶工。

明治時代に入り、富国強兵、殖産興業が謳われ、輸出用陶磁器を製作し、万国博覧会に出品。

横浜に大規模な工房「真葛窯」を設立。

国を背負った作品群ばかりである。

中でも、有名なのがこの2点。






高浮彫の超絶技巧だそうだ。凄い過装飾!!金銀きらきら、細かい文様!!

あらゆる陶磁器製造の技術の集大成!!

とも言える展示である。

見ていて、疲れる。

150点の作品群は凄いの一言ではある。

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奈良の聖地「大神神社」へ行く。

投稿日時:2015.11.13 (金)  06:42:47カテゴリ:日帰り旅(29)

 

七五三参りでごった返す境内でありますが、荘厳、幽玄の空気が漂っています。



立派な鳥居。

横の高札に、「幽玄」と書いてある。



結界を表す注連縄。



拝殿。

後ろの三輪山が御神体。

この山の登拝が目的で来たので、登り口のある狭井神社へ。



御神水が湧き出ている。それを戴きいざ登拝。



撮影禁止なので、写真はありません。

鬱蒼とした杉樹林の中、展望の開けない参道である。

頂上には、奥津磐座と、その下に高宮神社がある。

霊力を持った人が、修行で登っていると聞いていたが、確かに一人で登っておられる女性が多かった。何か、卑弥呼顔に見えるのが不思議である。

磐座の前で、一心に祈っておられる女性が、「一緒に祈りましょう。神が降りてきますから」と。私は、何も変化は無かったのですが、隣におられたご婦人は、顔が、高潮し、涙目になっておられた。神が降りられたのでしょうか。

往復2〜3時間の道のりですが、私には、きつかった。

下界に下りて、



右端に、二上山。左に一の鳥居。




大和平野と、大和三山を望む。香具山が欠けていますが・・・・

降りれば、2時近く。腹が現世に戻す。一番近い食事処で



流石、素麺の産地.にゅう麺付き。出汁が美味かった。



一の鳥居の横にあるのが、有名な最中「みむろ」の本店。


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なんじゃこりゃと思わず叫んでしまった。

投稿日時:2015.07.06 (月)  21:06:39カテゴリ:日帰り旅(29)

 

高見山を越えて、一番最初の町が、波瀬(はぜ)。櫛田川に天照大神が「礫石」を投げ込んだその波が届いた所と言うことで、付いた名前ですが、近くに月出中央構造線が有ることを考えると、この辺は、海辺であったかもしれませんね。と、車からの視線の先に何か訳の解らぬ風景が目に入った。一部始終を見ていただきたい。



陶芸の森「虹の泉」と書いてある。













てなものが、広大な敷地に、全て陶器(酸化焼成)で、埋め尽くされている。確かに、日本の森林の中には、似つかわしくない西洋的なオブジェだが・・・・・東健次と言う人が、35年掛けて一人で作り上げたらしい。75歳で、2年前に亡くなられたとか。

情熱には、頭が下がるが、理解不能、ミケランジェロ程の彫刻的な完成度はないし・・・・・


            詳細

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東吉野の高見山トンネルを越えて

投稿日時:2015.07.06 (月)  08:52:50カテゴリ:日帰り旅(29)

 

飯高と言う「道の駅」が、松坂市にある。温泉付きの道の駅として、TVに取り上げられていたので、行ってみた.櫛田川沿いに166号線を松坂市方面へ。





香肌峡の景色が綺麗である。水も翡翠色に澄んでいる。

家から、3時間かかって、飯高駅に到着。



お風呂に入って、遅い目の食事。

やはり、狙い目は松坂牛。



1300円ぐらいの定食。田舎の味付けは濃い。美味いけれど。

売店は、お決まりの野菜に名産菓子。

パン屋もあれば、喫茶店もある。

近くに、軽いハイキングコースがあったので、行ってみました。

歴史街道珍布峠(めずらしとうげ)ウオーキングです。




峠にある切り通し。



碑が建っています。



これが、礫石(つぶていし)。「国分け伝説」に




とあります。今も地名で残っているのが面白いですね。



櫛田川は森林の中で気持ちよく散歩できる。


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いざ、二上山に登る

投稿日時:2015.04.30 (木)  21:28:08カテゴリ:日帰り旅(29)

 

満腹なので、ゆっくりと登ることに。道は二つ有り。

ガレ場の尾根道とコンクリートの緩やかな道。

行きはガレ場、帰りは、緩やかな道を選んだ。



険しい道?



高さ約5mの十三重石塔と幅約3mの石窟。


      石窟正面に如来座像三体が線彫されている。

登り始めてすぐの所に有る。

凝灰岩の石切場跡に造られた奈良時代の石窟寺院跡。

十三重多層塔と石窟を備えた奈良時代の石窟寺院。

国の史跡に指定されている。

この周辺から和同開珎が出土している。



昔はこんなんだったのでしょう。

この後の道は、本当に険しい岩場の道であった。



やっと、雌岳に着いた。30分ぐらいで登れると、

聞いていたが、一時間かかった。



日時計が有り、親子が楽しそうに、遊んでいた。



天の香具山と耳成山が微かに見える。



と言う事です。



雄岳に辿り着いた。



山頂に神社が有ります。

雄岳山頂には「岳の権現」と呼ばれる葛木坐二上神社
(かつらぎにいますふたかみのやしろ)がある。

祭神
 豊布都霊神(建御雷神)
大国御魂神




大津の皇子の陵墓。



雌岳と雄岳の間の「馬の背」から河内方面を眺める。

PLの塔が微かに見えますね。



緩やかな道、下の方から、少し上の所に「岩屋」がある。

岩屋は奈良時代の石窟寺院跡で,

凝灰岩を削って造られた

間口7m,奥行き5m,高さ6mの石。       

 三重の石塔が残り,

昭和23年に国の史跡に指定された。



岩屋の千年杉

根回り約8m,樹齢約600年の杉の大木。平成10年9月の台風で倒れて一部が残る。






當麻寺(奈良県葛城市當麻)の本尊であり,国宝の「當麻曼荼羅(たいままんだら)」は,中将姫が岩屋で織ったとする言い伝えがある。
 奈良時代,藤原不比等の孫にあたる藤原豊成の娘であった中将姫(ちゅうじょうひめ)は継母に嫌われ命まで奪われようとしていたが,それに負けることなく写経や読経を続けていた。千巻の写経を終えた16歳の時,中将姫は二上山に沈む夕日から阿弥陀如来の姿を見た。當麻寺を訪れた姫はここで尼僧となる。そして,極楽浄土の光景を五色の糸によって織り上げた。これが當麻曼荼羅(たいままんだら)であり,本尊となっている。

と言う事です。



二上山登山口からすぐ,石切場は古墳の石棺や寺院建築用の石材を採った跡。当時は石棺に凝灰岩が使われており,高松塚古墳もここの石を使っている。石を切り取るときに使われたノミの跡が今も残る。岩屋や鹿谷寺もこのような利用して造られたもので,二上山にはこのような石切場が他にもある。

石切り場跡。高松塚の石棺が、ここから切り出された。

少し降りると登山口に戻った。気が付くと4時になっていた。





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古墳、古墳、

投稿日時:2015.04.29 (水)  08:42:12カテゴリ:日帰り旅(29)

 

大阪府立近つ飛鳥博物館へ行って来ました。



表題に惹かれて行きました。

近つ(ちかつ)飛鳥とは、

「近つ飛鳥」という地名は、712年口述筆記された「古事記」に記載があります。

履中天皇の同母弟(後の反正天皇)が、難波から大和の石上神宮に参向する途中で二泊し、その地を名付けるに、近い方を「近つ飛鳥」、遠い方を「遠つ飛鳥」と名付けたというものです。「近つ飛鳥」は今の大阪府羽曳野市飛鳥を中心とした地域をさし、「遠つ飛鳥」は奈良県高市郡明日香村飛鳥を中心とした地域をさします。この「近つ飛鳥」の地は、難波の津と大和飛鳥を結ぶ古代の官道−竹内街道の沿線にあたり、周辺には大陸系の遺物を出土する6世紀中葉以降の群集墳が広がっています。

また、南部の磯長谷には、敏達・用明・聖徳太子・推古・孝徳の各陵墓指定地など飛鳥時代の大古墳が集まっていて、俗に王陵の谷とも呼ばれています




奈良の竹内街道を抜けて、太子町の中心から南に外れ、

田園の中を、クネクネ行く。こんな所に、有るのかな?

駐車場の前に現れた建造物。

何処から入るのだ?迷いながら、案内板に従って進む。



屋根の下方の道を進む。



屋根の勾配に合わせて、高い塀。

足音がこだまのように響く。

ぷーと、一発やると、ぷっ、ぷっ、ぷっとこだまする。



やっと玄関だ。このけったいな建物、安藤忠雄の設計で、

古墳をイメージして作られているらしい。

広々した展示会場は吹き抜けになっていたり、

円形に展示してある。

河内の古墳の出土品がメインだ。

中央には仁徳天皇陵のジオラマが、でんと据えてある。

古代出雲の展示物は、

あんまり広くない一室にかためてあった。

テーマの関連性がよく解らない展示であった。


島根県立古代出雲歴史博物館の展示と比べると、

月とすっぽんである。出雲へ行かれたら、必ず行ってください。


建物の横に、丘有り。「近つ飛鳥風土記の丘」があります。

散歩道になっていますが、そこらじゅ古墳だらけ。

須恵器を焼いた窯跡も有ります。













散歩道の鉄橋の下にも、古墳。

これは、ほんの一部、百以上あるらしい。 




第一展望台からは堺市の数多くの大古墳の森が、

第二展望台からは、推古天皇、聖徳太子の円墳が望める。

古墳だらけの丘は、桜、梅の植樹が進み、

季節には、花見が出来るそうです。

そう言えば、古墳の横にシートを広げ、弁当食べてはった。


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住吉大社

投稿日時:2015.03.30 (月)  06:41:16カテゴリ:日帰り旅(29)

 

川喜多半泥子展を見に行って来ました。

アベノハルカスの16階で。

三重県津市の出身で、木綿問屋の子息。銀行の頭取にまで

上った人です。

趣味の陶芸?幅広い、文化素養を生かした彼の遺産と

交流の有った作家達の作品が並んでいました。

天王寺まで来たので、住吉大社と四天王寺へ行きました。



阪堺電車に乗った。浜寺公園まで一律210円。

堺市の補助でこの価格が維持されている。



住吉大社鳥居前駅。車両は、新しい物から、

明治の物かと思われる古い物まである。

風情があって、京都に有った市電を思い出す。



この鳥居、柱が四角なので有名。


住吉大社

第三本宮が正面に見える。

その右横に神功皇后の第四本宮が有る。

第一本宮 底筒男命

第二本宮 中筒男命

第三本宮 表筒男命 

イザナキの尊が黄泉の国から逃れ、海に入って、穢れを潅ぐ。

その時生まれた神。

その後に、天照大御神、月読神、スサノオが生まれた。



住吉造

御本殿は「住吉造」といわれており、神社建築史上最古の特殊な様式で国宝に指定。3つの特徴からなります。

1) 柱・垂木・破風板は丹塗り、 羽目板壁は白胡粉塗り
2) 屋根は桧皮葺で切妻の力強い直線
3) 出入り口が直線型妻入式

屋根には置千木と5本の四角堅魚木があります。周囲に迴廊なく、本殿の周囲には板玉垣、その外に荒忌垣があります。
柱は太い丸柱で礎石の上に立っており、柱間は横板張りで、正面より前が外陣、奥が一段高い内陣と二室あります。




横からの本殿。第二本宮、第三本宮。




これが、第一本宮。格式が、一番古く、大きい。




 後方には、校倉造の建物が有る。



巫女とは呼ばずに「神楽女」 (かぐらめ) と呼んでいます。住吉大社は伊勢の神宮や春日大社など古社とならび、伝統ある神楽を継承しており、その神楽舞に奉仕するのが神楽女です。神楽を舞うことで神霊を神楽女に御招きする意義がありますので、頭上には鏡を中心に、神木である「松」が掲げられ、神使の「白鷺」が飾りつけられています。鏡の中に私がいますよ。その下は太陽の日の出だそうです。



反橋

住吉の象徴として大変有名で太鼓橋 (たいこばし) とも呼ばれ石の橋脚は慶長年間に淀君が奉納したものであるといわれております。昔は、この橋の近くまで波が打ち寄せられていたそうです。この橋を渡るのは、神さまに近づくのに罪や穢 (けが) れを祓 (はら) い清めるためです。反っているのは、地上の人の国と天上の神の国とをつなぐ掛け橋として、虹にたとえられていました。




楠の神木が、幾本か有って、これを見て「あっ、相生の松と同じだ」と思ったら、やはり、「夫婦楠」と書いてあった。


天王寺に戻って、てくてく歩いて、四天王寺へ。

鳥居の扁額が、箕の形になっています。

全ての人々を救済する為だそうです。

西に向かって建っていますから、

西方浄土からの入り口と言う事でしょうか。






その伽藍配置は「四天王寺式伽藍配置」といわれ、南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む形式で、日本では最も古い建築様式の一つです。その源流は中国や朝鮮半島に見られ、6〜7世紀の大陸の様式を今日に伝える貴重な建築様式とされています。




六時礼讃堂

境内中央に位置する雄大なお堂で、昼夜6回にわたって諸礼讃をするところから六時礼讃堂の名があります。薬師如来・四天王等をお祀りしており、回向(供養)、納骨等を行う当寺の中心道場でもあります。入口には賓頭盧尊者像やおもかる地蔵が祀られ、独特の信仰を集めています。

大阪大空襲の被害を免れた飛鳥時代の建物です。

聖徳太子ゆかりのお寺ですから、宗旨は、和宗。

十七條憲法の第一條「和を以って貴しとなす」から。

仏教の総始祖を回向しているそうです。




四天王寺の甍の上に、アベノハルカス。

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