日本一大きい注連縄は?

投稿日時:2017.11.04 (土)  06:07:22カテゴリ:歴史探訪(22)

 

北九州の宗像に宮司嶽神社があります。

宮地嶽神社とも書きます。この辺の地名は宮司です。




山門から見る夕日の太陽と参道が一直線になることで有名な神社です。10月15日前後と2月20日前後が見頃だそうです。




鳥居前の土産店、梅が枝餅が名物だそうです。

登りきると山門に辿り着きます。




ここから見ると、あの一番目の景色なるのですね。

境内にこの神社の三大日本一が展示してあります。




日本一の大太鼓。




日本一の大鈴。

そして、トリは本殿に吊るされている注連縄。




これだ!!日本一の注連縄!!長さ13.5メートル、重さ5トン、直径2.5メートルだそうです。

これに匹敵するとも劣らないのが、出雲大社神楽殿の注連縄だ。




どうだ!!どっちが日本一だ!!長さ13.5メートル、重さ4.5トン、直径は?だが・・・・・


奥の院へと続く中腹に九州最大の古墳が発掘されている。

横穴式玄室の大きさは、明日香の石舞台より大きい。

宗像族の勢力は絶大だったようである。宗像の娘と大海人皇子(天武天皇)が結婚して、その孫に長屋王がおられます。


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驚き!!京都市内に縄文遺跡?

投稿日時:2017.09.21 (木)  18:48:32カテゴリ:歴史探訪(22)

 

朝日新聞に「火焔型土器と西の縄文」の展示会の記事が載っていました。その会場は、京都大学総合博物館。この博物館の存在を知りませなんだ。京都生まれの京都育ちの私ですが、知りませんでした。




立派な建物です。百万遍から東大路通りを南へ下がった東側に有ります。




地味な雰囲気ですが、入館料は、400円と格安です。

火焔土器に会えると、思うと本当にドキドキします。




これが、国宝です。火焔式土器で国宝に指定されているのは多数あるそうです。他の重要文化財とどう違うのか解りません。























これは、王冠型土器と言います。

素晴らしい作品群ですね。


この作品群は、1万6千年の縄文時代の歴史で、5千年前、300年続いた様式です。しかも、新潟県の信濃川流域の限定された地域から出土している。

超絶技巧を持った天才の成せる作品だと思われる。煮炊きに使った痕跡が有ったものの、物々しい火焔模様は、何を意味するのか解りませんが、祭祀器の権威付けと思われる。このような模様が、脳に降りてくる特殊な作陶工だったと思う。


ところで、京大構内で縄文土器が発掘されていたなんてご存知でしたか?それも縄文中期の!!

これも、同時展示されていました。本当に驚きでした。

土偶の破片もたくさん展示され素晴らしい。




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山城古道の終点は木津川市

投稿日時:2017.04.11 (火)  05:44:30カテゴリ:歴史探訪(22)

 

JR上狛駅から西へ、国道24号線を渡ると山城古道に合流する。

木津川の土手の方向に進んで行くと、昔の佇まいを残す町並みが見えてくる。







この町並み何だと思います。





茶問屋の豪邸の町並みなんです。

福寿園の本店が24号線に面しているでしょう。

その裏の西がこの地域なのです。




土手近くまで行くと、山城古道の終点のシンボルと言える石像の地蔵尊が鎮座されております。




奈良時代、聖武天皇の御世、東大寺の大仏を建立した行基の建てた六院の一つ泉橋院が基になっている。




泉橋寺です。ここからすぐ土手に上がれます。東を望めば、泉大橋の独特の鉄橋が見える。いつも奈良に行く時、頻繁に通っているのに・・・・・・

歴史的に由緒のある所なんですね。

JR上狛駅の東には高麗寺跡地が有り、高句麗の渡来人が住んでいた事が偲ばれる。

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恋人達の聖地?

投稿日時:2017.02.10 (金)  22:02:48カテゴリ:歴史探訪(22)

 

奈良へはよく行っていますが、見落としている所が沢山有りそうです。転害門(てがいもん)から西に入る道がありますが、そこを進み、佐保川を渡った所に




聖武天皇陵と光明皇后の陵が並んでいます。




聖武天皇陵はすごく大きなお墓です。




それに引き換え、光明皇后のお墓は小さく、東側に寄り添うように建てられています。

何故ここが「恋人達の聖地」なのか?




上から見て下さい。ハート型になっている。

夫婦仲は良かったかと言うと、外祖父の藤原氏に圧力をかけられ、姉さん女房の光明皇后に頭が上がらなかったとか?

4つも都を遷都し、東大寺大仏殿を建てた聖武天皇。

悲田院、施薬院を作り慈善事業で有名な光明皇后。

何はともあれ、聖地となったのです。

陵墓が、ハート型になったのは、理由が有ります。

中世の戦国時代、陵墓を削って、城を建てた武将がおります。

それが、誰あろうか、松永久秀。

信貴山城の以前の城なのです。

城址には、若草中学校が建っています。




城郭を模した正門。その横に解説の看板が立っている。







少し門内に入ると




石碑が見えます。

階段は真っ直ぐに続いていますが、回り道して天守へ行く構造になっていたでしょう。横の崖が城郭の一部だったのでしょうが、写真に入り切らないほど大きい。

天守からの眺望は素晴らしかったと思う。

東に、若草山、東大寺。西は平城京跡、南は奈良盆地。

学校の屋上を開放して欲しいなぁ。




松永久秀と言う人は、城を作るのが好きだったらしい。復元図がないのが惜しい。

戦国時代には、古墳の上に陣を敷いたり、山城を建てたりされたらしい。

下克上の代名詞のような久秀ですが、光明皇后の陵墓の端っこだけ、遠慮がちに削って城を建てた?

主君や文化財や茶の湯を大事にした人だったのかも?




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奈良県五条市

投稿日時:2016.03.19 (土)  06:38:17カテゴリ:歴史探訪(22)

 

市内にある「金剛の湯」に入る。



こじんまりとした銭湯ですが、100パーセント源泉のお湯で、湯船の岩が湯の花で、石灰化していています。まったく、温泉地の風情である。入った途端、肌がヌルッと来ます。リバーサイドホテルの裏にあるこの銭湯は付属施設なのかな?井上陽水が、ここに泊まってあの歌を作ったとは思わないが、思わずあの曲を口ずさんでいた。良い湯でしたよ!!

後は、市内の新町通りを見物に

銭湯の横に、



こんな遺物が、



と言う事らしい。

紀州街道沿いに残る町並み。江戸時代の建物が77棟あるそうです。





















この横を流れる吉野川は、大きく広い。河川敷きが広がっていて、吉野の山がゆるやかな屏風のように、背景になっています。



明治維新発祥之地と書いた尖塔状の看板が24号線に

、目立つように建っている。

代官所の長屋門が、民族資料館に成っている。

と言っても、代官所は天誅組によって、焼失。その後すぐ長屋門だけ再建された。

天誅組の資料が展示されています。




金剛山の五條からの眺望。朝通った時は、頂上付近真っ白でしたよ。

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賀名生(あのう)の里 歴史民族資料館と梅林

投稿日時:2016.03.18 (金)  08:07:49カテゴリ:歴史探訪(22)

 

梅が散り始めと聞いて、急いで見に行きました。

奈良県五条市から十津川へ向かう、168号線の少し行った所に有ります。

南北朝時代、南朝が穴太(あのう)に行宮所を建て、後醍醐天皇が入ったと言われるが、堀家の屋敷に滞在したのが実情らしい。



扁額には、皇居と書かれている。

天誅組の吉村虎太郎が書いた。



歴史民族資料館です。新しい建物です。

さて、梅林ですが、全山2万本と言われる。何しろ、梅干の梅ですから、白が多い。白雲たなびく風情です。細い山道が斜面を走り、高い所にへばり付くように、家が散在する。























てな感じで、歩けば、2〜3時間かかるそうな。

草餅、おでん、漬物など、軒先で売っていますよ。

今週末で、梅は終わりそうです。

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葛城再訪

投稿日時:2016.02.05 (金)  08:02:42カテゴリ:歴史探訪(22)

 

一度訪れ、ITで調べると、見落としや、こんな所あるんだと言うことがよくあります。葛城の道の「九品寺」の裏に「千体石仏」があります。




これは、なんぞや?




えらく斬新な灯篭である。




千体あるのかな?




こんな観音様も。南天が台座の下の敷石の隙間から生え、光背のようになっている。




南北朝時代、北朝と戦った時、地元の人々が身代わりに奉納したと伝えられ、そのため身代わり石仏とも呼ばれています。




高天彦神社の左横にあった得体の知れぬ岩に注連縄。

調べると土蜘蛛の遺体が埋められている塚だとか。長臑族、土蜘蛛族は、足が長く、手も長い土着の先住民と言われる。

ヨーロッパ、メソポタミア、中央アジア、シベリヤと移住して来た「縄文人」のような気がする。




24号線と30号線の間に、葛城古道がある。

室町時代の武士の屋敷の跡「中村邸」や、醤油屋、酒屋が、昔ながらの佇まいで、業を営んでおられる。




高鴨神社の横にある「そば小舎」。前に来た時は、売り切れ御免でした。




鴨神そば、一本挽き(挽きぐるみ、全粒粉)のあじわい

太くて、黒い麺。とろろと梅のぶっかけを注文。

硬いけど、美味しい麺でしたよ。




広大な駐車場。それもそのはず、アクアゾーン(プール等)

を含む総合施設だ。食事処もあるし、カラオケ施設も、マッサージも・・・・

平日にも係わらず、かなりの人が来店している。

浴場も多くの種類が取り揃えている。

小さいながら源泉の湯もある。泉質は良いようです。



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三上山に登る

投稿日時:2016.01.29 (金)  08:54:04カテゴリ:歴史探訪(22)

 

眺めているだけで美しい近江富士。

御上神社から見る近江富士は




こんな形です。男山と、女山と言われて二つ並んでいます。

女山が前に有る所、後ろに隠れている所から見れば、富士型に見えます。



御上神社の鳥居



山門




国宝の本殿

祭神は皆天孫族で、一人、菅原道真が祭られています。

方向は、後ろが北を向いています。

三上山全体も御神体なのですが?

方向は一致していません。

とりあえず、登ってみます。





裏道の方が楽だそうです。私は表道を行きました。




表道の登山口から少し登った所に大きな岩が有ります。

魚釣岩。ここで、神様が釣り糸を垂れていたと。

昔、昔、この辺りまで水辺だったと言う事を物語っている。




表道は、岩だらけで、最大の見所は「割岩」。

この細いスリットは太っている人は、抜けられません。


眺望の良さは山頂寸前の岩場。




眼下に、御上神社の森が見えます。




新幹線の列車が、走っています。




遠くに、比良山系が薄っすら雪化粧しています。

ちょっと、登ると




御神体の岩磐。




頂上の祠。




と、言うことです。




楽な裏道を降りて行く途中に、「くちなし」の実が成っていましたよ。登って、降りて、2時間の行程でした。




守山にある天然温泉で、身体を休めに。何だか知らないが、ここの名物は十割蕎麦の大名蕎麦。メニューも蕎麦が多い。

ここの料理は旨かったですよ。蕎麦もね!!









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太郎坊宮(追伸)

投稿日時:2016.01.16 (土)  07:56:14カテゴリ:歴史探訪(22)

 

後で、解ったことですが、太郎坊宮の御神体岩山の頂上に行く道がある。700mと書いてあったが、ぐるっと迂回する山道は、意外と遠く感じた。遂に登頂。




何も御座いません。注連縄もなければ、頂上の立て札もありません。でも、ここからの眺めは、神秘的です。




何とも言えぬ雲と陽の階段が、神の降臨を思い起こさせる。


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金勝山(こんぜやま)ハイキング

投稿日時:2016.01.15 (金)  09:09:55カテゴリ:歴史探訪(22)

 

随分以前、朝日新聞に「狛坂摩崖佛」の事が掲載されていた。

第二名神のトンネルの上に位置しているのが、この仏さん。

この仏さんを見るために、地図を片手に、歩き始めました。

こんぜの里道の駅から、金勝寺に行きました。




平安前期の古刹。




山門。赤い仁王さんがおられました。御堂は大したものではありませんが、安置されている仏像は、すべて重要文化財でしたよ。車が行ける最終地点、馬頭観音堂へ。




ここの駐車場からの景色。




三上山。近江富士とも言います。




競馬の栗東トレーニングセンター。

いざ、歩きだ。




八大龍王社。かたわらに龍王山がある。




茶沸観音。




重ね岩。




国見岩から望む天狗岩。下の岩の塊りです。天狗の鼻が突き出ているでしょう。




こんな道を上がったり、下がったり。1時間弱歩く。

最後の下りが急だった。遂に、到着。








この辺りに寺院が有ったのですが。明治維新の廃仏毀釈で壊されたそうです。立派な摩崖佛です!!




帰る途中。琵琶湖大橋が遠望出来ましたが、霞んでいます。

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