恋人達の聖地?

投稿日時:2017.02.10 (金)  22:02:48カテゴリ:歴史探訪

 

奈良へはよく行っていますが、見落としている所が沢山有りそうです。転害門(てがいもん)から西に入る道がありますが、そこを進み、佐保川を渡った所に




聖武天皇陵と光明皇后の陵が並んでいます。




聖武天皇陵はすごく大きなお墓です。




それに引き換え、光明皇后のお墓は小さく、東側に寄り添うように建てられています。

何故ここが「恋人達の聖地」なのか?




上から見て下さい。ハート型になっている。

夫婦仲は良かったかと言うと、外祖父の藤原氏に圧力をかけられ、姉さん女房の光明皇后に頭が上がらなかったとか?

4つも都を遷都し、東大寺大仏殿を建てた聖武天皇。

悲田院、施薬院を作り慈善事業で有名な光明皇后。

何はともあれ、聖地となったのです。

陵墓が、ハート型になったのは、理由が有ります。

中世の戦国時代、陵墓を削って、城を建てた武将がおります。

それが、誰あろうか、松永久秀。

信貴山城の以前の城なのです。

城址には、若草中学校が建っています。




城郭を模した正門。その横に解説の看板が立っている。







少し門内に入ると




石碑が見えます。

階段は真っ直ぐに続いていますが、回り道して天守へ行く構造になっていたでしょう。横の崖が城郭の一部だったのでしょうが、写真に入り切らないほど大きい。

天守からの眺望は素晴らしかったと思う。

東に、若草山、東大寺。西は平城京跡、南は奈良盆地。

学校の屋上を開放して欲しいなぁ。




松永久秀と言う人は、城を作るのが好きだったらしい。復元図がないのが惜しい。

戦国時代には、古墳の上に陣を敷いたり、山城を建てたりされたらしい。

下克上の代名詞のような久秀ですが、光明皇后の陵墓の端っこだけ、遠慮がちに削って城を建てた?

主君や文化財や茶の湯を大事にした人だったのかも?






■コメント


ホワイティー様
祖父母の家?何処ですか?天理?難波?京都市?奈良市?
そういう名前の施設が戦前に、有ったのですね。聖徳太子の四天王寺に地名が残っているし、泉涌寺の塔頭の一つとして悲田院がある。そういう施設に名前が残っているのかも?

投稿:roppi  2017.02.12 (日)  08:41:58


先ほどは・・・。
「悲田院」て言葉久しぶりに聞きました。昔、祖父母の家の近くに「悲田院」があって古い木造の平屋だったと思いますがとても貧しそうに見えました。80年くらい前です。
その後数年経ってから名前も変わり施設内容も変わったように思います。
「悲しい田の院」光明皇后は良いことをされたのでしょうがもっと他の名前は無かったのでしょうかね

投稿:ホワイティー  2017.02.11 (土)  09:49:43


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